《今日はニャンの日》「だから国家はウソをつく」の系譜——しれっとデタラメの大本営発表【79年前の今日、12月8日は真珠湾攻撃】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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《今日はニャンの日》「だから国家はウソをつく」の系譜——しれっとデタラメの大本営発表【79年前の今日、12月8日は真珠湾攻撃】

平民ジャパン「今日は何の日」:10ニャンめ

◼︎310万人もの国民を殺しても「しれっと」できる政府

 戦争は終わり、75年が経った。

 大本営発表は一般名詞として使われ、いまも日本語として現役、健在だ。
「政府や有力者などが発表する、自分に都合がよいばかりで信用できない情報」(デジタル大辞泉)は、いまこの瞬間も、形を変えてメディアにあふれかえっている。悪しき伝統は受け継がれ、守られている。

 よらしむべし、知らしむべからず。

 そこには事実を見つめ、リスクに向き合い、310万人を犠牲にした巨大な失敗から学ぶ姿勢は無い。戦時中、大本営発表は戦争遂行を維持する集団としての帝国臣民に向かって発せられた。

 令和のいま、大本営発表は文句を言わずにおとなしく生きる集団としての平民ジャパンに降り注ぐ。大本営発表を無邪気に信じて生きていれば、いずれまた爆弾(または、何か別の災厄)が雨あられと降り注ぐ日がやってくる。少しでも被害を防ぐためには、巧妙な大本営発表を感知し、メディアが垂れ流す情報を真に受けず、頭から疑ってかかるしかない。

  1941年時点のラジオ普及率は45.8%に達していた。国民の半数近くは大本営発表とその解説を聴いていた。勇壮悲壮な無数の軍歌がこれを彩った。明るく勇ましく始まり、中盤から悲壮なトーンに変わる。勝つぞ必ず勝つと鼓舞しては、さあ皆で死のう美しくとドラマチックに求める。これが優秀な軍歌の基本構造だ.

 当時の新聞は、いまでいうワイドショー、夕刊紙、テレショップ、YouTubeのスパムチャンネル並みに、わが軍は向かうところ敵なし、敵は臆病で弱いと煽った。大本営発表は津々浦々に広がる神がかりなプロパガンダ、便乗商法と同期して、誰も異を唱えることのできない空気をつくった。都合の悪いことは無いことにすればいい。大本営発表は上から放たれる。それを受け止めて垂れ流し、歌と踊りで盛り上げるプロモーションは御用メディアの仕事だ。

 それをさらにボランティアな翼賛世論が支える。よき日本人として生きるため、空気を読み、お互いに声をかける。75年間平和が続いても、来たるべき有事に備えて、これは変わらない。メディアは政権に恫喝を受け、媚び、唯々諾々と従う。米軍基地は無くならない。憲法は変えられない。主権は回復しない。それでも、また「戦争ができる国になりたい」。少子高齢化が加速し、みるみるうちに人口が減り続けても、その妄想を捨てきれない。無駄死にさせる若者は、そもそも日本にもういない。ガンダムに乗るアムロがいない。高齢者兵士を募り、ロボット兵器で武装するしかない。自衛隊の無人化を進めるしかない、にもかかわらず。

 報道機関のニュースルームにおいて、ニュースの基本的価値は死者の数、距離、そして鮮度で決まる。他国で100人死ぬより、住んでいる街で1人殺されたニュースが勝る。

 日本で5人いっぺんに死んだら大事件だが、アフリカで500人いっぺんに死んでも驚かない。

 今日100人死んだら大事件だが、1年前の1000人、10年前の10000人、75年前の100万人は忘れられる。数が多くなると、実感できなくなる。

 1894年の日清戦争以来、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争と、大日本帝国はずっと戦争をしていた。どこかに兵を出し続けていた。しかし、戦争はいつも遠くでおきていた。真珠湾攻撃からの大本営発表も、遠いどこかでおきた戦争の知らせだった。

 1944年半ば、日本本土に対する戦略爆撃が本格化し、住んでいる街に焼夷弾を降らされるまで、帝国の戦争は50年間、いつも遠いところで起きていた。

 男たちが戦場で味わった残虐と恐怖は、当事者にしかわからないものだった。

 大本営発表は数字の発表でしかなかった。毎日聞かされていれば、数字の変化を追うだけになる。気温なら、からだで感じる。放射能は見えないし、感じない。コロナの感染者数も見えないし、感じない。景況感や経済指数は仕事や給料が増えたり減ったりしなければ見えないし、感じない。倒産して、失業して、からだを壊して、財布の中身がゼロになるまで、わからない。

 だからメディアは発表報道にあぐらをかき、大本営発表が活躍する余地がある。それでもいい。まだ大丈夫だ。まだ屋根がある。まだ餓死はしない。大きな戦争はもう起きない。マイナンバーカードを持たなくても、クレジットカードがデフォルトしても、スマホさえあれば、まだ何とかなる。

 スマホがなくなったらどうしよう。
 それだけはさすがに怖い。考えたくない。見せたくないものは見せない、見たくなものは見ない。これが日本人を麻痺させ、鈍感力、ストレス耐性を与えてきた。ディストピア慣れした日本人は世界の終わりも乗り越えるニュータイプだ。

 大本営発表は敗戦、そして玉音放送とともに終わった。

 踵を返して、すべてをリセットし、それまでをなかったことにして75年。大本営発表は軍服を脱ぎ、言葉遣いは、やたら丁寧になった。国民生活に浸透した。

 どうでもいいことばかりがネットで炎上する。皆それに気をとられる。大事なことは見過ごされる。

 79年前の今日、飛行機を飛ばして敵軍港を襲う真珠湾攻撃を華々しく謳った大本営発表は、大昔の出来事だ。暴力の形態は多様化し、近未来の戦争は従来の殺戮を不要とするものになる。アメリカがそこにいる限り、日本が戦争を仕掛けることも、仕掛けられることもないだろう。世界大戦となるような大規模戦争はしばらくは起きないだろう。

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猫島 カツヲ

ねこじま かつを

ストリート系社会評論家。ハーバード大学大学院卒業。

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